為桜(いおう)学園の名は学園の春を飾る桜花にちなみ,藤田東湖作「文天祥正気(ぶんてんしょうせいき)の歌に和す」の一節「発(ひら)いては万朶(ばんだ)の桜と為る」よりとられたもので,本校草創期の理念として明治34年に体育会を為桜会と命名して以来,脈々と本校に継承されてきました。本校の桜も,老木の数こそめっきり少なくなりましたが,爛漫,その清潔の品,花王の格は古くから本校の象徴とするところであり,「為桜」は衆芳を抜かんとする生徒の心意気「為桜魂」を示すものです。
 左のマークは,明治39年,長塚節の紹介で,洋画家・書家として知られる中村不折(ふせつ)が作図したもので,現在も本校のシンボルマークとして広く使用されています。(「為桜」を囲んで「不二(ふじ)の嶽(たけ)」「大瀛(だいえい)の水」「万朶(ばんだ)の桜」が「百錬の鉄」の刀の鍔(つば)の中に見事に配されています。
本校は別称為桜(いおう)学園という。
 この名は学園の春を飾る桜花にちなみ,藤田東湖作「文天祥正気の歌に和す」の一節「発いては万朶の桜と為る」よりとる。桜花爛漫,その清潔の品,花王の格は古くから本校の象徴とするところであり,「為桜」は,衆芳を抜かんとする生徒の心意気「為桜魂」を示すものである。上記のマークはこれを図案化したものである。(中村不折作)明治34年よりこの名称が用いられている。


藤田東湖作 「和文天祥正気歌」の一節
天地正大気 粋然鍾神州
秀為不二嶽 巍巍聳千秋
注為大瀛水 洋洋環八洲
発為萬朶櫻 衆芳難與儔
凝為百錬鐵 鋭利可断鍪


読み


天地正大の氣,粹然(すいぜん)として神州に鍾(あつま)る

秀でては,不二(ふじ)の嶽(がく)となり,巍巍(ぎぎ)として千秋に聳(そび)え

注ぎては,大瀛(だいえい)の水となり,洋洋として八洲を環(めぐ)る

発(ひら)いては,萬朶(まんだ)の櫻となり

衆芳(しゅうほう)與(とも)に儔(たぐい)し難し

凝(こ)りては,百錬の鐵となり,鋭利なること鍪(ぼう)を断つべし


日本語訳


天地に満ちる正大の気は,粋を凝らして神州日本に集まり満ちている

地に秀でては富士の山となり,高々と永遠にそびえたつ

流れては大海の水となって,あふれて日本の周囲をめぐる

開けば,幾万もの枝に咲く桜の花となり,ほかの花々の及ぶところではない

凝結すれば,百回鍛練した日本刀となり,切れ味鋭く兜をも断ち割る

『…表題の「為桜」は,藤田東湖の漢詩「文天祥正気の歌に和す」の一節「発いては万朶の桜と為る」に由来し,草創期の明治三十四年四月二十五日,「体育会」を「為桜会」と命名したことに始まる。
 表紙の図案は,明治三十九年七月,校友会誌「為桜」第五号の巻頭を飾る標題として,長塚節の仲介で,洋画家・書家として知られる中村不折が作図したものである。「為桜」を囲んで「不二の嶽」「大瀛の水」「万朶の桜」が「百錬の鉄」の刀の鍔の中に見事に配されている。図案は陰と陽の縁取りの二案がある。白縁取りには「為桜」の文字が配され,輪郭を線描し,躍動感があり,黒縁取りでは「為桜」の桜を五弁の花びらで,つまり,花(象形)文字で表現し,文様は影絵のように黒ですっきりと描かれている。まさに「為桜精神」の象徴である。
 この図案は,現在も本校のシンボルマークとして広く使用されている。』